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ギター趣味人

1000-03-073-7 スペース 間

■ 弾きすぎ・・・

クラスタフリーコンサートで演奏したとき、

自分で「ダメな演奏だった」と感じるのは、

主に「間がとれてない演奏」をしてしまったときだ。

(文字通り間抜けな演奏)


自分は、そもそも技術的に他の方とくらべて、

ずば抜けて上手いといったことは皆無なので、

「いかにハートを込められるか」

が肝要。 

その判断は間違っていないと思うが、

そういう気持ちゆえ、

「誠心誠意で一生懸命弾こう」

と思いすぎてしまい、

結果として、くどくなってしまう。


こういう”熱くなりすぎて語りすぎ”

の演奏は、後で反省すると恥ずかしい。 


「いかに意味のあるスペース、間をつくっていけるか」

そういうことの方をもっと意識しなくてはならない。



■ スペース 間を意識して 

自分のお袋は習字先生をやっている。

習字における美しさはいろいろある。


字の形ももちろん大事だが、そのほかにも勢い、

スピード感といったものまで表現され、

それらが総合的に表されると

情感まで伝わってくる。

奥が深くて面白い世界だ。 


さて、その習字でお袋がよくいう

「大事なこと」の一つに、

「黒く書いた部分と、白い部分との割合」

というのがある。つまり

「何も書いていないスペースというのを

 どれくらい残すかが大切」

なのだそうだ。


確かにそう説明されてから、

子供習字なんかをみてみると、

とても窮屈にみえたり、さびしくみえてしまったり

するのが、字のうまさもさることながら、

この”白い部分”の作り方にあると気づく。


表現においては、音楽に限らずスペース、間

といったものは大事なのだ。


彫刻の腕のないミロのビーナスなんかは

逆に、無いことを利用してさえいる。

”意図的スペース”によって、

無数のパターンの像を見る人の頭に描かせる。

美しいやり方だ。


音楽では、自分はマイルスデイビスを聴くたび

「弾かないことの美しさ」

「音を切ることの美しさ」

を感じる。

あの音の切り方というか、演奏を止めるタイミングというのは、すごい。 


最近、この間の大切さを最近痛切に感じたのは、子供演劇でだ。 

子供劇団に入っていて、練習をみさせていただいたのだが、

イコール演技といってもいいのかもしれない。 

説くに上手でない役者をみると、強く感じる。


自分がたまたまみたその演劇コメディーだったのだが、

間が悪いと笑うにも笑えない。

笑いたくても、ストーリーが即先にすすんでしまうので、

それについていくのに懸命で笑う暇がもてない。

脚本は十分おもしろく、笑いは間違いなくとれるのだが、

下手な演技がそれを殺している。 


ある演技がなされるとき、

いい脚本家が書いた脚本であれば、

みる人にとって、最初から結論が1つに分かるような台詞、演技

なっていない。

未来を知らないのだから、当たり前といえば当たり前だ。

 

そうすると、みているほうは、

次の展開を無意識、かつ瞬時にいろいろ考える。 

そして、

「それでどうなるの?」

という、観客の声無き声を聞いたくらいのタイミング

次に進んでもらうことが必要だ。


この「お客様が考える間を持つこと」が、

役者の演技で大事なポイントと思う。 

そして次の演技、つまり演技関係性のなかで、

ストーリーが種明かしがされていく。

だから、逆に考える必要のないところでは、

ぽんぽんテンポよくすすんでも、一向に構わない。  

きっと脚本家、すなわち「台詞のプロ」は、

このような観客のイマジネーションを広げたり、

結論づけたりすることを考えながらつくっているのだと思う。

これが伝わるかどうかは、役者の「間の持ち方」が重要だ。 


しかし、役者の難しいところは、

「次のストーリーを知っていること」

で、

「知っているけど、初めて知ったように演技しないと

 間が取れない」

ということになる。


子供演劇で、これが難しいのは道理だろう。

少なくとも、覚えるのに精一杯のものには、

このコントロールなど無理だ。

一部、天性で出来てしまう子が

天才だ、などと騒がれるのも

わからなくは無い。


さて、音楽に話を戻すが、音楽もまったく同様だろう。 

作曲者が表現したかったものは、演奏者に委ねられる。

演奏者はいい役者になれるだろうか?

演奏者は「いい間」を持つことができるだろうか? 

自分は、けっこうこのようなことを

自分の演奏で感じたり考えたりしている。

というか、

考えるように意識的にしている。

 

スローな曲を弾くとき、とても美しくというか、

かっこよく弾けるときと全然ダメなときがある。

うまくいかない時の原因として、

ピッキングの調子ももちろんあるが、

もうひとつ、このスペース、間のとりかたがうまくいかないときも、

やはり美しく弾けないのだ。

そんなときは概してやっかいで、最悪のときは、

演奏している曲のなにをもって美しいと思っていたか、

見失う時すらある。 


音楽の中に”呼吸感”というか”息継ぎ”

がなくなってしまっているケースだ。 

「文脈がみえない」「コールアンドレスポンスになっていない」

なんていいかたしてもいいと思うが、

フレーズ意味を持たないない演奏」

になってしまっているという言い方もできる。

 

そして、こういうことが一番実感できるのが、

それを練習といっては失礼だが、実はライブだ。 


結論としては、聴いている人が演奏のストーリー

というべきものを感じ取ってもらえるような

演奏をしていきたいと思う。

それが、誠心誠意で熱くなりながらも、

聴いている方のことまで感じながら

演奏できればなあと思う。


間が抜けた演奏にならないように。