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ギター趣味人

1000-05-075-7  懐メロと前衛音楽とオリジナル

■演奏者の気持ち 

クラスタフリーコンサートでは、

いろんなタイプの演奏がなされる。

だから聴いていてとても面白いのだが、

時々考えるのは、

弾く方はどのように選曲しているのだろうかということだ。

 

見ず知らずの方の前で、15分間ギター演奏をする。

観客はお互いにギターを弾いて奏者になる方と、

ただ聴きにきている人がいる。


「あなたはなにを、どんな曲目を演奏しますか?」 


なにを弾いてもいい。

決まっているのは15分間ということだけ。

1曲しか弾かなくてあと全部MCとしても構わない。

もちろんその逆でMCは曲目をいうだけで

黙々と演奏してもいい。

超有名曲の「禁じられた遊び」を弾いてもいいし、

15分間のインプロビゼーションを弾いてもいい。


クラスタフリーコンサートの条件としては以上

であるが、要するに、インストソロギターなら

なんでもいいというものだ。

 

当然ながら、演奏者は聴いてくれた方から、

「よかったですよ」

この一言がほしい。

正直言って、生での演奏を直で誉められると、

かなりうれしい。

恥ずかしながら、

この年でも自分で納得いった演奏にタイムリー

”お声”を頂くと、ほほが緩むのを禁じえない。

今日ハッピーだ」

という気持ちになる。

これはきっと自分以外でも、

ほとんどの演奏者の正直な気持ちと思う。 



■聴きどころ・・・ 

さて、上記のような気持ちで弾かれるであろう演奏。 

弾き方が十人十色のように、聴き方もいろいろだ。

あんまり音楽ジャンル分けは好きでないのだが、

ちょっとジャンル別の選曲による、

演奏者の意図を考えてみよう。

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□ クラシックスタンダード伝統音楽追求型:「いいものはいい!」

□ 懐メロ:「どうぞいっしょに」

□ ジャズスタンダード:「私の歌心」

□ ボサノバ演歌フラメンコ民族音楽:「好きなんですこれが」

□ 前衛音楽インプロビゼーション:「この良さをわかってほしい」

□ ギターインストコピー:「自分のあこがれ」

□ オリジナル

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クラシックスタンダード伝統音楽追求型:「いいものはいい!」

 「禁じられた遊び」、「ラグリマ」、

アルファンブラ宮殿の想い出」、「11月のある日」

といった人気曲は、ほぼ毎回に近い頻度で演奏される。

クラスタは演奏者のレベルが高いのだろうか、

クラシックでは「大聖堂」とか「魔笛

なんかも人気が高い。


もちろん、

「イパネマの娘」とか「ウェーブ」

なんかも結構ある。


ラグタイムカントリーブルースなどでも人気曲は結構ある。

オールドファンにとっては、中川イサト氏の初期のアルバム曲、

それからステファングロスマン氏、

キッキングミュール教則本からの選曲などがそれだろう。


こういった「ギター演奏におけるスタンダード曲」

はさすがになんども演奏されるだけあって、

「いいものはいい」のだ。

演奏する方も、その曲が本当に多くの方に演奏されていて、

言葉は悪いが、手垢まみれであることも百も承知だ。


それでもその曲を弾く。

演奏をして、その曲の中に入っていく。 


いい家具やいい道具に囲まれていると、

とても気持ちのよいものだが、

こういった演奏はそういった”趣味のよさ”

のひとつだろう。 


趣味クラシックのような気品のよさ、

ラグタイムのようなオールタイムの良さ、軽さ、

いろいろあるが、人気曲はみんなそれぞれの

”いい趣味”を持っている。 


いい音楽を演奏するのは、

その趣味のよさを味わうものといっていいと思う。

単純に弾いていて気分がいい。

その気分のよさは、聴き手の方にも伝わってきて

趣味のよい気持ちよさを感じることができる。


懐メロ:「どうぞいっしょに」 

懐メロはそのメロディーに”時代”

というものを背負っていて、

聴く人それぞれにその時代の自分を思い出させてくれる。

そして、自然と演奏にあわせてメロディーを頭の中で歌っている。 

だから懐メロの演奏は楽しい


上手な(というか、気合の入った)

懐メロの演奏は、観客みんながいっしょになって

合唱しているような気分にさせてくれる。 

演奏者にとってもこれはとても楽しい

ただ難しいのは、懐メロ

毎回同じ曲をやるのは、ちょっとつらい。


懐メロは曲目がたくさんあるに越したことは無い。 

クラスタフリーコンサートでは、

ミスター懐メロのARZNさんがいる。

おそらく100曲くらい演奏曲を持っている。

自分はARZNさんのアレンジを”お気楽アレンジ”と

呼んで尊敬している。

どれも曲の肝をきちんと抑えていて、

とても効率的なアレンジだ。 


ARZNさんが演奏すると、観客はほとんど笑顔になる。

もちろん自分も。

懐メロ大好きである。



ジャズスタンダード:「私の歌心」 

ジャズを演奏する方も少なくない。

そしてジャズこそ生演奏がいい。 


ジャズというのは、やはりアドリブだ。

たどたどしくても、その曲をその瞬間に

自分が歌いたいように歌い上げることが美しい。

その歌い上げようとする熱さから、

メロディー自然と変形され、

オリジナルを超えたその人の歌へと昇華されていく。 


こういった演奏はなかなか聴けないが、

演奏者が

「そういう演奏ができた!!」

と自覚して、かつ、聴いているほうも

いまあいつは歌っている」

というのを聴けたとき、

演奏者と聴いているほうは、

最高にハッピーな時を得ることができる。


PS

ちょっと話がずれるが・・・ 

アマチュアでも、演奏技術はともかく、

精神性としてジャズをしている人がいる。

その場の雰囲気で本当にアドリブとしている。

そういう人の演奏こそ、本質的な意味ジャズだろう。

一方、相当上手い方でも、(プロを含めて)

毎回アドリブが同じという方もいる。

アドリブと呼ばないかも・・・)

ジャズなのかな・・・と思ってしまう。



ボサノバ演歌フラメンコ民族音楽:「好きなんですこれが」 

ボサノバ演歌、その他の民族音楽を弾く人もいる。

そういった人は、その音楽が本当に好きなのだ。

そしてその楽しさをストレートに表現しようとしている。 

こういった人の演奏を聴くのは、難しいときがある。

独特の癖みたいなものがある。

だからこそ、その音楽なのだが、

聴きなれていないと、ちょっとつらい。

結構高い壁と感じてしまうときがある。


ボサノバフラメンコというのは、比較的その壁は低い。

一方、日本民謡のような音楽や、

中近東の旋律音楽のようなものは、相当高い壁だ。

(このようなものはそもそも演奏されるのは少ないが・・・

 例外としてKMYさんの三味線があるが) 


こういう高い壁の一例としては、

明治時代に、西洋の方が日本の伝統音楽

初めて接したときの反応として紹介されている。

「なにがいい音楽なのか、さっぱりわからん」

と。 


これは、その人が悪いのではない。

その人の中に、民族音楽のよさに共感する

下地が無かっただけのことだ。

ある地域のみんないいと思っている音楽だから、

聴きつづければ、何がいいのかはきっと理解できる。

だって、同じ人間なのだ。

頭の構造が、そんなに劇的に違うことはないはずだ。

 

では、理解するにはどうすればいいか。

その音楽をやってみること、できれば習ってしまえばいい。


可能であれば、その地域に住んで、

その音楽をその地域の方と一緒にやればいい。

すぐにとはいかないかもしれないが、

きっと良さは体感できると思う。 


そう考えると、まずもって大事なことは、 

「そういう共感は、誰でもできるはず。」

と思い込むことと自分は思っている。

こういった癖のある音楽は、

よさを体感できると逆にはまってしまうかもしれない。



前衛音楽インプロビゼーション:「この良さをわかってほしい」 

前衛音楽は、前述の民族音楽などより、

さらに聴いて楽しむのは難しい。

音楽を難しい簡単で語りたくないが)

クラシック現代音楽とかは、

大変な技巧を持って弾かれるものの、

聴いている方としては、

ただの指の体操にしか聞こえない

ということもある。 


ただ、演奏している人は、

なんらかその曲に良さを感じている。

だからこそ人前で演奏しているのだ。 

こういった演奏を聴いて、その曲に入り込めなかったとき思う。

「どんな気持ちで弾いているのだろう。」

と。


相当勇気がいると思うのだ。

誰にも理解されないかもしれない曲なのだから。

(それが自覚できないのは、天才か、

 よほどセンスが欠落しているかだろう)


でも、わかる気もする。「禁じられた遊び」は確かに美しい。

でも、飽きてしまったら、

聞き飽きていない音楽を弾きたいと

いう欲求がでてくる。

それで違う曲を弾くのだが、

そういった違うもの、違うもの、

ということを続けてたどり着いてしまったのが、

前衛なのだと思う。


そもそも芸術というのが

”新しいもの”を追っているのだから 

ということで、なんかすごく

カオスな感じがするな、とか、

気色悪い音使いだなとかでも、

反応してしまう心を素直に感じればいい、

と思っている。



ギターインストコピー:「自分のあこがれ」 

演奏する方としては、よくある選曲だ。

何事も学ぶことは真似からだ。

自分が好きなギタリスト作曲家の曲をコピーして、

それを自分なりに人前で弾く。


しかし、このごろは弾く方のレベル

相当上がっていると思う。


中川イサト氏のコピーなんかが、

その楽曲の親しみやすさから多いが

(でも実は表現までコピーするのは難しい)

いまや、前述のとおり押尾コータロー氏、岸辺眞明氏

まで結構コピーされる。

アレックスデグラッシや、トミーエマニュエルまで

コピーされる方もいる。技術的にすごい。 


こういった演奏は、同じギター弾きとしては、

率直に演奏者の気持ちが理解できる。

でも、こういった曲をお互いわかりあえるというのは、

ある意味相当ヲタク的ではあると思う。

だから、演奏終了後の話まで、

濃い話が楽しめるのだ。



オリジナル 

オリジナル曲が演奏されるとき、

自分は襟を正す。オリジナル曲は、

その人の分身だ。

大作か小品かということはあっても、

その人となりがもっとも表現されるのが

オリジナルだ。 


そして、その人がCDとか出すような方でなければ、

その曲は、この一回しか聴けないかもしれない。 

一番自分の気持ちを素直にオープンにして、

かつ、誠実に聴きたい。 


以上いろんな音の聴き方を綴ってみた。 

一期一会音楽は1回限りのものだ。

録音ができるようになって久しいので、

その感覚がうすれてしまっているが、

本来音楽というのは、録音していないものは、

2度と同じものは聴けない。

いい演奏が聴きたいし、いい聴き方をしたい。