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ギター趣味人

1000-06-016-1  芸術について

芸術って必要? 

まず最初に芸術について考えていることを書きたい。 

もちろん「学術的芸術論」ではない。

(書けないそんなの) 

しかし、芸術というものは、そもそも個人的な営みであり、

正解というものはない。

だから、一人一人違った芸術観があって、

全く問題ないだろう。

ということで、自分が音楽一生懸命やっている中から、

個人的に考えたことについて綴ってみたいと思う。


音楽でも美術でも、芸術一般について、

まずもっての一番シンプルな問いかけは、

芸術って必要なの?」

というものだろう。

自分も自問自答するときがある。 

それと同時に、

「こんなに楽しいんだったら、これを職業にできないかな」

ということが、その問いかけの続きの問いかけとしてでてくる。 


音楽好きで、多少なりとも演奏する方なら、

誰しも一度は考えたことがあるのではなかろうか。 

しかし、芸術で生計を立てていくのが容易でないことは、

普通に考えれば想像がつく。


音楽や絵みたいな芸術というのは、

仮になくても”とりあえず生活していく”

という観点からすると、誰も困らない。


農業を始めとする、人間生活になくてはならないことが

明々白々な職業に比べると、芸術関係というのは、

ぜったい必要というものではないようにみえる。


「いや、そんなことはない。椅子ひとつ作るにも、芸術的センスが必要なのだ」

という意見がありそうだが、座りやすい椅子人間工学の所掌であって、

芸術だと、「座れない椅子」も許容範囲としてしまう。 

本当に芸術というのは、必要なのだろうか?



芸術するのが人間 

自分は、「芸術があるからこそ人間」と思っている。

芸術ってそもそも無駄なものだと思うが、

無駄無くしては、人間人間らしくない。「

無駄なところを一切ほしがらないイコール野生」

であって、犬や猫や野生の動物

楽しいから獲物をいっぱいとろう」

なんてことはしない。


しかし人間はやってしまう。

生活一般において、好き嫌いでいろいろやってしまうのが人間で、

だからこそ人間なのだと思う。

もし、それが許されないのであれば、

きっとつまらない人生と感じるだろう。

そういう意味で、自分としては、

芸術生きるためには必要だ」

と言い切ってみたいのだ。 芸術は、「

生活に直接必要はないけど、ないと心が貧しくなってしまうもの」

といえばいいのかもしれない。 

「なんのために仕事をするの?」

と聞かれれば、まず

家族笑顔のため」

そして、その次に、

「少しでもいい暮らし」

とかいう答えになると思う。

 

ここで「いい暮らし」とはなにか。 


なるべく一般的にあてはまる言い方をしようとすると、

「少しでも、目や耳や体が気持ちいいことができる生活」

とかいえると思う。 

それでは、なにをもって気持ちいいのだろうか・・・

この「気持ちいい」をなんらか五感で感じられるもの

としてみせてくれるものが、

芸術なのではと自分は思っている。

 

つまり本当に根源的な芸術とは、

生きる意欲の目標とか、シンボルとかを感じさせてくれるもの』

といえるものと思っている。 

だから、イチロー松井は自分にとってはとても大切だ。

観ているだけで元気になる。

すばらしい絵画もそうだし、音楽もそうだ。

それに接していると生活が豊かになった気がするもの。 


ただ、生きるに必要なものだけで生活していくのは、

考え方としては”清貧”といって尊ぶ考え方もあるが、

人間はそれだけでは生きられないと思う。

死んでるみたいに生きてもしょうがない。 

芸術生きるために必要」 

そう思う。


河原者(かわらもの) 

でも、

生きるのに必死にならざるを得ない社会

は、芸術家に冷たい。


当たり前だ。


人が一生懸命田畑を耕しているとき、

芸術一生懸命というのは、ある意味遊び、

すなわち、なにも生産的でないもの、

に夢中になっているということだ。 


だから江戸時代、百姓(百の姓=一般市民のこと)

と区別してそういった人(芸術家の類)

河原者と呼んだらしい。

(自分はおじいさんか、誰かから

 こういった話を聞いた気がするのだが

 正確には覚えていない・・・)


河原植物が育たない。つまり

「何も生産的なことをしない(できない)人」

という意味だ。 


今は”芸能人”と呼ばれるようになって、

どっちかというと、憧れの職業として見られる向きもある。

でも、本当は違うと思う。


元々は河原者といわれるくらい

世間からの目は厳しい職業なのであり、

ちょっとでも一般社会から嫌われてしまえば

それだけで生計が成り立たなくなってしまう。 

芸術家として飯をくっていくのは、

元来厳しいものだと思う。



プロは生まれながらにしてプロ 

だから、芸術で身を立てる人というのは、

ある意味病的にその芸事が好きな人に限られると思う。

「それなくしては俺の存在価値はない」

と自他共に言い切れる性質を持った人だと思うのだ。


特に江戸時代のように”河原者”等という

文化があった日本においてはそうであろう。 

自分は、海外でも事情はそう違わないのでは

と思っているのだが、どうだろうか・・・。


芸術家として生きていく為には、

パトロンが必要だったというのは歴史

事実としてあった話だが、立場としてはどうだったのだろう・・・。 


いずれにしろ、プロは生まれながらにしてプロなのだと思う。 

ピカソは起きている間中、なにか作らずにはいられなかったらしい。

また、絵を書いているときが休んでいるときとのこと。

いわゆる無我の境地にいってしまうので

、寝ている次くらいに、頭も体も超リラックスとの状況だったらしい。

確かに、そうでもなければ、あれほどの量の作品は残せないだろう。 


ピカソほどでなくても、ちょっとしたプロギタリストであれば、

驚くほどの時間をギターに費やしていて、

そしてそれを全く持って

「すごい時間と思っていない」

ようにみえる。

やはり、プロは生まれながらにしてプロなのだろう。



アマチュアにとっての芸術は? 

じゃあ、芸術というのは、

一部のプロのもので、一般大衆のものではないのか、

というとそんなことはない。

むしろ逆だと思っている。 

芸術というのは、まずもって、自由さというか、

「好き勝手」であるべきと思うが、

「好き勝手することと、それで生計を立てていくことが

 同義である」

という方は、前述の

プロになるべくしてなる人」

だろう。


普通は、なかなか人を喜ばせるレベルのものを

出しつづけていけるものではないと思う。


そう考えると、

プロになれる人(上述のような意味で)」

以外は、 

「好き勝手にするために」

は、アマチュアで留まる方が、

より芸術には近づけそうだ。

 

ただ芸術のなかでも、人間ばなれした技術が必要なものも

ある。(というか少なくない)

その技術修得に修練(つまり時間)が必要となれば、

別の生活の糧のための仕事との両立は、時間的に難しくなる。

そうすると

「本当の芸術をするためには、プロになるしかない」

という判断しかなくなるものもあるだろうとは思う。


■みることも芸術だ。 

江戸時代においても、河原者と言われはしても、

河原者はちゃんと河原者として認められていた。

芸術は必要だという認識はあったのだと思う。 

今も同様だろう。 

明日から、

野球お金がないので、禁止とします。イチローはもうみられません」

などということが発生すると、自分はとってもさびしくなって、

野球税を作って、野球を続けよう」

などと言い出してしまうかもしれない。 

自分でできなくても、社会として一番美しいシンボルとして

芸術を持つことが、その時代の文化として豊かだし、楽しい。 


芸術リスペクトしている社会の方が自分は好きだ。 

心の健康はお坊さんと河原者が頑張るのだ。 

社会は、いろいろな人がお互いに持ちつ持たれつであるが、

芸術家が頑張れる社会のほうが、ずっと豊かな社会であろう。



■”美しさ”を感じてる? 

今の社会、いっそう芸術を欲する心が必要とされていると思う。 

昨今、一般的な知識を得ようと思うと、

インターネットがあるので、それなりに答えを探すことができる。

探すのは結構簡単だ。

そして、そういった探すのが簡単な知識は、

あっという間に広がってその価値を失う。

 

一方、ある人がその人の価値観で、

「美しい」と思って集めたものは、

ただ、機能的な条件で集めたものより、

なにかしら面白い。

美的感性というフィルターをとおし

感性から判断した知」

が入っているからだ。 


こちらのほうは、「インターネットがあるから・・・と」

誰でもできるというものではない。

だから、こちらの価値は、美的センスを持った価値となり、

そうそう廃れるものではないと思う。

インターネット社会だからこそ、

趣味のいい」という価値観重要になるのだと思う。 

趣味がいい」と発言できる感性を自分はもっているだろうか・・・。


■美しさを感じる感性 

“美しい”と感じる感性は、実はとてもプロ的だ。

失敗学」で、有名な畑村洋太郎氏はその著作の中で、

「ある道具(機械)がよいか悪いかは見ただけでわかる」

と書いていた。よくわかる。自分も自分の仕事の図面は、一目見ただけで

「やばい!」

とか、

これはいい!」

といった勘所は感じる。説明は難しいが。 

こういった”美しさを感じ取る感性”については、

ぜひとも磨いておきたい。



■美しさという観点をもつ趣味を持とう。 

以上のような考えから、音楽とか、絵画とか、

鑑賞を含めて”美しさ”にかかわる趣味というのは、

よいものだと思う。

そしてその趣味から得られた感性を使って、

自分を作っていきたいし、

身近なものを手に入れていきたいなどと思う。 

「よし、今日ギターを弾こう!!」



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ぼくは芸術といったが、それは決して絵・音楽小説というような、

職能的に分化された芸ごとや趣味のことではない。

いま世間で芸術と思っているのは、

ほとんどが芸術屋の作った小品であるにすぎない。 

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。

人間として最も強烈に生きる者、

無条件に生命をつき出し爆発する、

その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

芸術は爆発だ

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これが例の「芸術は爆発だ!」の一文、岡本太郎氏の言葉だ。


氏の信念であり、貫いてきた生き方だ。 

氏にとっては、生きることイコール芸術だ。 

ここまで、極端なのはちょっと大変だが、

生き方として毎日自分の殻をやぶっていくような

 気概をもつことは充実した人生を送る為には必要だ」

という意味で、岡本太郎氏のような

芸術を大事にするような生き方をしてみたい。