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ギター趣味人

1000-06-046-4  透明な音楽;映画音楽、環境音楽

音楽には、音楽メインでなく、

映像やお芝居といったものと同時に流される音楽や、

BGMとしての音楽もある。


環境音楽BGM 環境音楽

自分はエリックサティを嫌いではないが、

なんとなく聴かせるという音楽BGMというのだろうか、

そういうものは、あまり好きではない。

聴きたくない場では、なにも音はなっていないほうがいいし、

聴きたいと思ったとき、聴きたい音楽を聴きたい。

 

それでは、

BGMっていうのは、本当に不要なもので、ないのが一番いいのだ」

という意見かというとそんなことはない。

むしろBGMというのは大事だと思っている。

実際にBGMというものは、巷でずいぶん重宝されている。

気にかけてみると、なるほどと思う使われ方が

されていることに気づくことが少なくない。


■どういうところでBGMは必要か? 

まず、一言で簡単にいうと、会話を気楽にしたいところでだ。 

一番会話がしにくい状況とは、音が全く無く、

不特定多数の人が廻りにいるような状況だろう。

自分の話を聞かれるようなのがいやだし、

聞きたくないのに聞こえてしまうのもいやなものだ。

こういった環境では、仮に、周りの人もおしゃべりをしていて、

自分がしゃべることに抵抗ない状況であっても、

一旦、ふっと沈黙が訪れると話しにくくなってしまう。 


こういう環境ではBGMが是非ほしい。


人のおしゃべりの邪魔にならないような音楽

適切な音量で流れていると、とたんに会話しやすくなる。 

この観点からBGMを評価していくとけっこう面白い。

最も参考になるのは喫茶店だ。

いい喫茶店の大事な条件のひとつは

「いいBGM適当な音量でかけていること」

と自分は思っている。 

もっとも、ジャズ喫茶などのように、

BGMとしてでなく、音楽そのものを聴かせるための喫茶店もあり、

これはこれで、一文化として面白いと思う。

しかし、昨今、時代が変わって、

ジャズを聴かせるのみでお客様を呼べるような時代ではなくなった。 


話を普通喫茶店の話に戻そう。

喫茶店の役割は

リラックスしたり、会話を楽しむ場を提供する」

ということだろうが、これらのために、

音楽重要アイテムだ。

その場の雰囲気をエクセレントなものとし、

おしゃべりの邪魔をしない音楽

けっこう難しいと思う。 


じゃあ、自分にとって、居心地のよかった喫茶店

どん音楽がかかっていただろうかと振り返ってみる。

誰かとおしゃべりするにしろ、一人で考え事や読書するにしろ、

集中できる喫茶店では、どん音楽がかかっていて、どんな状況だろうか。

「あまり気にならないけど、嫌いではない音楽

が流れていて、意味がわからない

(聞きとれない程度の距離での)

おしゃべりがあふれているといった感じだ。


逆に最悪のBGMは?


自分としては、テレビラジオの音。

つまり”気になってしまう音”

がかかっている状況だ。

落ち着いて自分の時間を持つことが難しくなってしまう。

テレビラジオは自分が見たいというものを

自分の家でみる(聴く)のが一番だ。


ということで、自分はBGMというものをあまり好きではない

と言っているものの、喫茶店が好きなので

本当はそれなりにBGMを楽しんでいるのかもしれない。


ちなみに、自分の生活状況としては、

このところ、仕事と家庭で忙しくて、

休日にほっとできるような喫茶店

を探せる状況にない。

そのうちそういうところを探す余裕ができたら、

是非ともゆっくり探してみたいと思っている。

(くるだろうかそんなとき・・・)


なお、ラジオについては、BGMとしてでなく、

聴きたくて聴こうとする分には好きだ。

また、好きでないBGMと書いたが、

仕事や、長時間運転といった単調作業で、

かつ、それを一人でやると言った場合は楽しめる。

でも、それはBGMというより、

音楽を聴くことがメインで、

仕事や運転がBG、バックグラウンド

思っている。




■透明な音楽 

目立たないことを目的とした

(という言い方がよいかわからないが)

音楽、BMGについて書いたが、

音楽自体も重要ポジションを占めるBGMというのもある。

強制的にある雰囲気を作るためのBGMだ。


例えば小学校運動会では、演歌はまず間違ってもかかったりはしない。

元気がでたり、急ぎたくなるような音楽BGMとしてかかる。

遊園地でも、マイナー長のクラシックなどというのは、

間違ってもかからない。

楽しい音楽が流れている。 

さらに、これの高度なもの、プロとしての対応が求められるのが、

映画テレビでの映像音楽”、

ゲームミュージック

といったものだろう。 


音楽には場の雰囲気をつくる力があるが、

これを積極的に活用し、もっともその場にあった雰囲気を演出する。

音楽家としては、相当やりがいのある仕事だろう。


日本映画音楽第一人者といって差し支えないであろう久石譲氏は、

「今の世にモーツアルトベートーベンがいたら、間違いなく映画音楽をやっている」

といっている。難しくて、やりがいがある仕事なのだろう。

 

映画音楽については、以前(相当昔)ジャズライフかなんかに載っていた

パットメセニーのインタビューが面白かった。

映画音楽映像に本当にぴったりになると、

 音楽自体が映像と溶け合ってしまって、

 音楽自体が流れていること自体気が付かないようになる。

 自分のグループ音楽とは全く違う世界だ。」

よくわかる。

あえていうと「透明な音楽」とでもなろう。 


パットメセニーを始めとする映画音楽制作家は、

この透明度を狙ってつくるのだからすごい。

 

同じように、ゲーム音楽では、ドラゴンクエストが好きだ。 

映画音楽と同じで、とっても悲しい場面や、いやな場面、

おどろおどろしい場面など、実にその場面にあった音楽が作られていて感心する。

こちらの方は、映像パターン化されてなんども繰り返しとなるので、

音楽も繰り返し聞かれることになる。

だから商品全体として音楽の占める比重は相当大きい。

ワンパターンでありながら、飽きのこない」

ものでなくてはならないのだ。 


ドラクエがあの音楽でなかったら、

これほどのヒットになっていただろうか。

すぎやまこういち氏は本当にすばらしい才能だ。

これ以外にも氏の作品は大好きで、

ガロ学生街の喫茶店あり、大井競馬場ファンファーレや、

テレビでは、帰ってきたウルトラマン主題歌もそうだ。

どの作品も大好きだ。

 

こういった音楽は本当に「プロ仕事」の領域なのだろうが、

アマチュアである自分として参考になるのは、

いろんな気持ち、場面を表現する音楽についてだ。


普通音楽趣味にしていると、

作りたい音楽ハッピーなものが多い。 

ジャズサックスプレイヤー渡辺貞夫氏(プロ中のプロ)は

「僕は悲しい音楽は作りたくない。

 聴いている人がハッピーになれるようにと思ってやってるから。」 

と言っている。 

まったくもって同感で、加えて自分としては、

「聴いている人が」

というのに

「演奏している自分も」

と付け加えたい。 


しかし、映画ゲームハッピーな場面だけではない。

ドラクエでは洞窟に入ったり、悲しい展開になったりももちろんする。

そして、そのとき、その場面にぴったりの音楽が流れていることで、

本当にゲームに引き込まれる。 


映画はもっと複雑だ。

単純に楽しいとか、悲しいとかいっただけでない

心象をも含んだ場面を映像と共に創り上げていく。

ある意味、単純な音楽のみでの表現より、

ずっと高度な(という言い方がいいかわからないが)

音楽感性が必要であろう。


ドラクエ映画音楽、また、演劇などの音楽を聴くと、

こういった、ありとあらゆる世界観音楽で表すこと

に対するあこがれというか、尊敬みたいなものを感じる。