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ギター趣味人

1000-06-056-5   ジャズ 歌心からの距離

ジャズについて、好きな音楽ジャンルということもあり、

好き勝手綴ろうと思う。

完全に個人的な見識で書いているので、

間違いがあるかもしれないし、違う解釈もあるだろう。

でも、音楽なんて自分がどう感じるかだと思っているので、

それもいいだろうと思い、躊躇せず綴っていこう。


ジャズ

ジャズ」というと、テンションコードを使い、4ビートという

スタイルとしてのジャズ

がある。巷の楽譜集でも

ジャズアレンジ~」

というのを見つけるのは難しくない。 

でも、もちろんそれらは「ジャズ風」であって、

ジャズではないだろう。

どんなに、テンションコードを使っていても、

またジャズらしいリズムであろうとも、

毎回同じもの寸分狂いなくでてくるような演奏は、

ジャズではない。


やはり、アドリブがあってこそジャズであろう。

しかし、いくらアドリブといっても、

「完全に適当」では音楽にならないので、

いろんなスタイルを追いつつ、

自由に歌い上げることをしていく。

 

ルイ・アームスロトング、チャーリー・パーカー

ジョン・コルトレーンマイルス・デイビスといった巨人が、

ジャズをひっぱっていた時代は、

ジャズは最先端の音楽として

「誰もやっていないやり方」

を探求していた。

ビックバンドからバップモードそしてセシルテイラーとか

フリーの方向がでてきて、オーネットコールマン、ドンチェリー

ギタリストでいうとデレクベイリーといったところまで突き抜けていく。 


しかし、「新しいスタイルの探求」は、やはり限界があったようだ。

それはそうだろう。

12音という西洋音階であるし、

音楽と言うのは、繰り返しは重要な要素であるのだから、

完全に突き抜けていく方向が

いつでも楽しめるというのは、難しい。


フリーまで突き進んでしまったところで、

ジャズは大衆性を持つことは難しくなり、

また、そこに至るまでのかっこいいジャズスタイルについては、

フォロワーがあふれ、そのスタイル学問化が始まった。

これをもって「ジャズは死んだ」等といわれている。 


確かにそうかもしれない。今ジャズを、

ブラッククラシカルミュージック

として定義していこうという動きが一部であるとのことだが、

これはすなわち、ジャズ西洋クラシックのように

伝統音楽としてとらえるものだ。

この意味では、最初の「ジャズアレンジ」こそ

まさしくブラッククラシカルミュージックと呼べるものなのだろう。  


これをよしとするならば、ジャズは死んだのではなく、

ジャズは、新しいものを追っていく音楽がから、

古きよき時代を気持ちよく思い出させてくれるものとか、

ジャズ風の色合いを楽しむものとかへと

変わってきたのだといえると思う。 


結局、音楽は楽しむもの、

であるので、これもこれで悪くない。

ただ、ジャズが生きていたときの、

「最高の瞬間」が期待できるかといえば、

なんともいえない。



音楽を楽しむためのジャズ 

「最先端のジャズってなんだろう」

というプロ世界のことを思いながら書いたのが上記だが、

でも、ジャズってそんなに力まなくても

いいもんだと思う。


自分がジャズはいいものだなと思っているところは、

ジャズアドリブインプロビゼーションということを、

最も許容している音楽ということにおいてだ。 

「誰もやっていない”スタイル”を生み出すこと」

としてのジャズはその推進力を維持するのが

難しくなっているのかもしれないが、

「その瞬間、唯一無二の演奏をしたいとの欲求、探求を許容こと」

において、ジャズ精神死ぬことはない。 

アドリブインプロビゼーションのやり方や可能性は、

それこそ十人十色無限だ。



■歌心からのジャズ 

自分にとってのジャズの捉え方は、

「歌の発展」という考え方だ。

ここでいう”歌”とはメロディー

すなわち曲の主旋律のことだ。 


ある曲を覚えるとき、もちろんメロディーを演奏する。

何度も練習すると上手にメロディーを演奏できるようになる。

メロディーはそれ自体美しさを持っていて、

それを演奏することがその美しさを享受する最もいい方法だ。 


しかし、何度も何度も演奏すればいずれ飽きてくる。

そうすると、そのメロディーを少しいじってみたい

という欲求がでてくる。

これがアドリブの最初だろう。

ちょっと変更するのは、フェイクなどといわれるのだろうが、

そうするととたんに美しさを取り戻す。

自分らしさが入る。

その曲のいいなと思っているところを、

より際立たせようという内発的欲求からなされるものだからだ。 


メロディーオリジナルから少し離れ、

また新鮮さを取り戻す。 

こうしてどんどんオリジナルメロディー

自分なりのメロディーに変えていくことで、

その曲はスタンダードとして長く演奏される。

メロディーは1通りでも、そのメロディー

どういう風に解釈して弾いていくか、

ということが無限にあるからだ。 


ジャズ歴史は、この「歌からの距離」

で自分は捉え考えている。

コード的解釈の極限を追っていったバップ

旋律的なつながりを追っていったモード

距離感自体に着目し、どこまで離れられるかという方向にいった、

(つまり歌を感じさせるものを徹底的に排除しようとした)

フリー、もしくは、メロディー自体に空間を作り、

そこになにをいれてもいいんだ、

という解釈をしたオーネットコールマン等、

以上自分の勝手な解釈だが・・・・そんな風にみている。 


この歌心というのは、結構強力だ。

だからスタンダード演奏という、

歌心、メロディーからの距離感をいろいろ楽しむジャズ

いまだに楽しまれるのだと思う。


しかし、一方、徹底的にこの歌心から離れていきたい

という方向もある。

先述のデレクベイリーなどがそうだ。

でも面白いのは、演奏における決め事というのは、

歌心から徹底的に離れたフリー演奏の方が

多くなっているのではと思われる点だ。

「なにも決め事が無いように聞かせる」

ことは、現代音楽楽譜からわかるように、

あるメロディーを弾くより、ずっと難しい。

ずっと決め事は多いのだ。 


だから、スタンダード曲の持っているメロディー

曲構成を持っているほうが、「演奏の自由さ」は感じやすい。

つまり、オリジナルからの距離感というものを感じることで、

よりフリー感をそれとして感じやすい。

  

一方完全に歌心から離れようとする類のフリー(注)の方は、

オリジナルメロディーというものを作りたがらない。

経時的に絶対後戻りしないといったような精神で演奏される。

または、繰り返しがしにくいこと

(つまり覚えにくいフレーズ)を繰り返す。

こういうフリー音楽は楽しめるか?

その音楽はなにを表現しているのか? 

音楽は聴き方も自由だ。

自分の感じるように聴けばいいと思う。


注)もちろん、いろんなフリーがあって、

 歌心ばりばりのキースジャレットみたいなのも

 ある。


ソロギタージャズ 

ソロギターで、”その場で好きなように”

ジャズを弾く事は難しい。

なにせ、ソロとバッキングを一度にやることだけでも

難しいのだから。

でも、ジャズスタイルでなくとも、

「口笛吹くように自由な感じ」

で弾きたいという気持ちがある。 


ということで、ジャズとまで行かないが、

ある曲を練習するとき、1フレーズにつき、2,3とおりの弾き方、

コードリズムを変えたアレンジを習得し、

演奏する瞬間に、好きなアレンジを選択しながら弾く事に

チャレンジしたりしている。

ジャズっぽいアレンジ、すなわち、テンションコード

ビートなんかにはこだわらず、

単純なアレンジでも全く良しとして、

でも、3通りくらいフレーズの引き出しを持っていて、

その場で、好きなものを選択して弾いていく。

いまのところ、これが自分なりの”なんちゃってジャズ”だ。 


結果的に最も好きなアレンジ1通りに

なってしまうのではないか?

という気もするが、選択肢を持って、

それを瞬間瞬間選択していくことで、

演奏事態に緊張感がでるのではないかと思うのだ。



クラシックの中のジャズ性 

クラシックの演奏家は、多くの人が即興演奏家、

すなわち今でいう、ジャズ奏者だったのでは・・・

と自分は思っている。


モーツアルトベートーベンも。


ベートーベンの変奏曲など、ジャズそのものなのではないかと思う。

また、教会音楽、特にオルガン音楽はそもそも即興が基本で

今でも即興演奏がなされている。

これも精神性としてもればジャズと同等と思う。



■完全フリー 

自分は時々、『完全フリーの演奏をしたい』

との欲求に駆られるときがある。

2人、もしくは3人でやりたい。

一人だと、やはり自分の殻からでるのは難しい。

ということで、時々フリーコンサート終了後に、

セッションをやるのだが、

やはり、普通ジャズブルース、特にブルース

フォーマットになってしまう。 


本当は”フリー”をやってみたいのだが・・・・ 

そのようなフリーをやるのに、一番いいのは、自分と同じような

「理由はわからないがフリーをしたい」

という欲求がある人だろうが、

フリーといってフリーやれるような人は、

よっぽど奇特な人なのだろう。

いままであまりそういう方とやれたことがない。

 

ただ、1度もやれたことないかというと

そうではなく、やれたこともある。

数少ない経験であるが、最高にエキサイティングだった。

・・・・

だから、時々やってみたいという気持ちが湧くのかもしれない。


以上、自分なりのジャズを綴ってみた。

時間をおいて見直してみると、

各部で、既に自分で違った考え、反対の考えも

いろいろ浮かんでしまっている。

でも、

あるとき、こういう考え方をしていた

ということで、まずはそのままで

アップすることとしよう。