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ギター趣味人

1000-06-076-7  音楽を聴く環境について

さて、個人的音楽考として、

音楽について自分が思ったり考えたりしたことを、

この6章では綴っているが、今度は演奏からみた音楽ではなく、

音楽を聴く環境について書いてみたい。 


歴史的にみて、その音楽に接する環境が大きく変わったのは、

ひとつは今から100年くらい前、

レコード”の発明にあると思う。


ラジオとかテレビとかマスメディアの発達も

音楽に大きな影響を与えていると思うが、

本質的に大きな影響というのは、

「多くの人が、一度に聴ける」

ということ以上に、

「録音再生ができる、つまり、同じ演奏を何度でも同じ質好きな時間

 聴けるようになった」

ということにあると思う。


その技術が現れる前は、生演奏しかなかった。

録音という技術のあとと前で、

音楽はどのような変化があったのだろう。

知ってどうなることでもないが、

きっと大きい変化だったであろう。


そして今、音楽再生iPODに代表される携帯音楽プレーヤーがでてきた。

すごい性能だ。

手のひらにのる大きさのプレーヤーで、

おそらく一般人のほとんどの方にしてみれば、

購入して聴くCD一生分といっていい曲数が入ってしまう。


これらの進化は「聴く」方ばかりでなく、

「音を作る」方についても当然やってきている。

例えばCD制作については、昔は、数千万のスタジオが必要だったが、

二千年代である今は、数十万でできてしまう。

ギター1本で、ただライン録音といったように贅沢言わなければ

10万もしないで、CDまで製作可能だ。 

こういった環境について思っていることを綴ってみる。


■高級オーディオ と iPOD 携帯音楽プレーヤー

□高級オーディオ 

高級オーディオ。興味はある。

というか、本当はすごく好きだ。

しかし・・・『本物』を求めるような

お小遣いなど夢の状況。

それに、自分の住まい状況(集合社宅に住んでいる)

から、ご近所への騒音を考えると、

『大きな音を楽しむのは不可能』

と結論がでてしまっている。

 

しかし、そうではあるが、たまにインターネットで、

「いい音」を追い求めてやまない方のホームページを覗いたりしている。 

うらやましさ半分、趣味を楽しんでいるのを

眺める楽しさ半分、という感じだ。

で、それらのなかで、面白いといっては大変失礼なのだが、

すごく応援したくなってしまうのが、

その方々の機材購入欲からの葛藤の状況だ。


「これまで古いけどいいのを使っていたのだが、

 壊れてしまった。で、新しいのを試聴してきたが、

 とても満足できない。

 なんとかしてこれまでと同程度のものを手に入れたい。」

といった類いの話が多い。 


オーディオ機材は、昔、名器と言われた機材、

もしくはそれに匹敵する音を手にいれようと思うと、

とんでもない金額になる。

技術は上がっていると思われるのに、

なぜかそれに逆行しているように感じられる。 


スピーカーは100万を超えるのが珍しくないし、

アンプなんかも目が飛び出る金額のものがある。

ディジタルだから、変わりようがないだろうと思われる

CDプレーヤーでも実はまったくそんなことはなくて、

『違いのわかる男』よろしく、わかってしまう人には大問題らしく、

これも、20万以上、下手すると100万を超える・・・。 


そういった方のHPブログでの表記も

「こんな値段で買えるわけがない」

といった記述となっている。

(当然だろう・・・)


地方から秋葉原の○○○○なんかに一生懸命さがしにきて、

ウルトラ高級品を間違って聴いてしまったりして・・・ 


すると・・・・そこらへんから記述が変わる。

「この100万のがすごいのだ・・・25万で我慢せねばならないのか・・・」

…!?


「おいおい、金銭感覚狂ってきてますよ~」

アドバイスしてあげたいのだが、もはや手遅れ。最後は、


「しかし、自分の持っているCD達が、俺たちをいい音で聴いてくれよ~ 

 とお願いしてくるのだ。」

などという名言を残して長期ローンへ・・・・。


こんなのを読むとホント、心の中で思う。

「あんたはえらい! よくやった!! 正直者は正義だ~!!!」

と。

他人のことだから、好き勝手思っているだろう

という内なる声もあるのだが、

でも、こういう人の気持ちは死ぬほどわかる。


こんな人が少なくなかったとき、

オーディオ雑誌は生きていたし、

機材たちは、高いとはいえ、それなりの値段であった。 


しかし、今やiPODの時代だ。

いい音を追求していくのは日本では極々

一部の方のものとなったようだ。

というか、海外も含めて、本当にリッチな人だけの物になって、

そういうリッチな人が製作側を支えてくれる国でのみ、

こういった嗜好品は生き残れるのかもしれない。



さて、音楽環境のことで、

高級オーディオについて書いてきたが、

ギターも同じかもしれない。

ギターもいいのは高い。


スチール弦のギターは、

5万もだせば、普通に弾けるのは買えるが、

クラシックギターでは、

「人前で弾けるのは100万から・・・」

などという声もある。 


オーディオの場合とギターの場合の違いといえば、

ギターは、そのよさを享受するためには、

ギターを練習して、いい音でならす技術の修得が

必要ということがあろう。

オーディオの方は、練習などいらない。

金さえあれば、(場所も含めてだが)

一応誰でもそのよさを享受できる。 

しかし、ギターはまずもってその良さを引き出せる腕がないと

「猫に小判」、「豚に真珠」だ。 


このことは、実は、

ギター貧乏は、オーディオ貧乏以上に発生しやすい』

ということになろうかと自分は想像する。

・・・・ちょっと実感も、・・・まわりを

みての経験としても・・・ある。


というのは、そういう腕を持ってしまって、

かつ、そういう

『すごく音がいいけど、お値段もすごくいい』

というギターに出会ってしまった場合・・・


そのギターが話しかけてくるのだ。


「私のこの音は、あなたにしか出せません! 

 

 ぜひ私をあなたのものに!!」


この言葉は、一生懸命練習してきたものにとって、

一生懸命やってきたがゆえに、より残酷に心に響く。 

以上の考察より、オーディオ貧乏に匹敵するくらい、

ギター楽器貧乏も発生しやすい。

自分の願望としては、貧乏になることなく、

それらを手に入れられるようになりたい。(相当難しい・・・)


携帯プレーヤー 

さて、話を戻して、オーディオの話。

高級オーディオは一昔まえより、手に入れにくくなってしまっているようだ

ということを書いたが、

それじゃ、オーディオ環境は以前より

貧弱になってしまったかというと、

そうでもないと思っている。


現在は、レコードからCDに移ったメディアがさらに進化

iPODに代表される、携帯プレーヤー

そしてコンピュータメディアにしたものに

移り変わってきている途中と思う。

確かに、まだまだ音質としてはアナログにかなわない

と自分は思っているが、

日進月歩進化しているのは実感としてある。

本当に耳のいい方からは、悲観的な意見が多いということも知ってはいるが・・。 


先にも書いたが、この携帯プレーヤーの驚くべきところは、

その容量だ。iPODでは5000曲なんてバージョンもある。

こうなると、ほぼ、普通の人が

CDを買って一生に真剣に聴く音楽のすべて

が手のひらに乗っかったと思っていい。

自分の好きな曲は一旦入力されれば、

あの小さいiPODとイヤホンさえあれば、

いつでも好きなときに聴けるということだ。

すばらしい。


自分は、一番安いシャッフルというタイプを使っているが、(注)

どうせ外できくということから、

音質をとやかくいわないと割り切れば、

聴ける時間もけっこう長時間で不満はない。

外で使うときに気になる耐振動性も抜群に高い。

ただシャッフルという機種は画面がないので

好きな曲を呼び出すということができないのだが、

それを望むのであれば上位機種を購入すればいい。 

これで今後音質が更に洗練されれば、

それこそ不満なところはなくなるだろう。

あと何年かすると、音質もよくなり、一人1台、

「自分の好きな曲は好きな場所で好きなときに聴く」

というのが現実になっているかもしれない。 

(注>ちなみに2007年より、ソニーノイズキャンセル

 ウォークマンに乗り換えた。 音質で選択したのだが

 とても満足して使用中。)


今後”音楽”というのは、どのように聴くようになるだろう。 

自分のこだわりのリスニングルームで

というのは、なくならないだろう。 

加えてもうひとつ、”場所を選ばない”聴き方、

iPODのようなケータイプレーヤーを持ち出して、

どこででも聴けるとなったら、

どん楽しみ方ができるだろうか・・・・。  


■ながら聴きは好き? 

現在という時代に生きている恩恵は、

遠慮なく受けるべきと思い、

出張の移動中、休暇中など四六時中iPODを聞いてみた。

 

移動中は自由時間であるが、

ノートパソコン携帯しているので、

新幹線の中でも仕事したりするし、

また暇つぶしとして新聞や本をよく読む。

しかしやはり移動中に文字を読むことは目が疲れる。

そして目が疲れたけど、眠くはないとき、

音楽聴きたいと思う機会が結構ある。 


で、やってみた結果だが、あまりよくなかった。

特に出張の往路の電車の中では、

いろいろ出張のことを考えるので、

音楽はない方がよいと感じてしまった。 

そういえば、キースジャレット氏が昔

「どこにいっても安易なBGMが流れていて困る。聞きたくないんだ」

というようなことをインタビューでいっていたことを思い出した。 


帰りにちょっと一服というような状況でのみ、いいかな・・・程度。

であれば、あまり自分にとっては、有用でないな、

というのが、正直な感想だ。

 

従い、自分として一番有効に使えているのは、

車のなかでのBGMとして持ち歩くときくらいというのが結論であった。 

そのうち、もっと楽しい聴き方ができるかもしれないが、

一方で、機材は進歩しても、人の方は、

それほどの進歩は必要としていないのかもしれないとも思った。



音楽断ち 

今度は逆に、出張の1日を使って、音楽断ちをしてみた。

いうなれば、音楽断食。 


やってみてまず思ったのは、

「本当にどこへいっても音楽があるな」

ということ。

東京都心音楽断ちなど”不可能”といっていいと思う。

自分は、東京から長崎への出張だったが、

長崎東京ほど「どこでも音楽」といった状況ではない。

でも、コンビニ弁当屋など

お店にはいれば何かしら音楽は流れている。 


で、音楽断ちしてみた感想だが、

1日くらいであれば、音楽断ちしても

特にさびしくもなんともなかった。

禁断症状とかはなし。

仕事が忙しかったせいもあり・・?)

移動中でなにもすることがないときも、

新聞など読んでるとどうにでもなった。 


2,3週間やるとなると(不可能だろうが)

違うかもしれないが、この結果は、

まあそうだろうと思う。

ほんの100年くらい前は、

演奏家がいなければ音楽なんて

そうそう聴けなかったのであり、

「ましてや移動中でもなんでも聴ける」

などというのは、ついここ数十年の

ことだ。

聴けない環境の方が、本当は普通なのだ。



■聴かないことも大切だ。 

「音を聞かない」をやってみて感じたのは、

耳も目と同様、時々休めたほうがいいということ。

イヤホンで聴くということは、

それなりに集中して聴くことになっているのだと思う。

当たり前だが、できるだけ聴いてみようとしてみたときより、

ずっと耳の疲れが少ないということを実感した。 

やはり、聴きたい音楽を聴きたいシチュエーションで聴くのがいい。

「ながら」で聴くのは、特にメリットを感じないなら、

やめたほうがいい。

以上が自分としての結論。



■ながら聴きをしたいとき 

「ながら聴きはやめたほうがいい」

と書いていて思い出した。

学生時代「ながら聞き勉強」で失敗したことがあった。


ラジオ聞きながら勉強したのだが、

机に座っているのが苦でなくなるから、

時間としてはそれなりに勉強できる。

しかし、脳みそ半分が違うことをやっているのだ。

実になる勉強になるわけはない。当然ながら全然だめだった。


そんな経験があって、いまだに本を読むとき、

物書きするときなどは、今でもあまり音楽等をかけることはない。 

それでも、ながら聴きが邪魔にならないときもある。

道を歩いている時、車を運転しているとき、

乗り物で移動しているときなどだ。

しかし、よくよく考えてみると、

これは「ながら聞き」ではなく「ながら聴き」だ。

「ながら」といいながら、聴いている方が主で、他のことが従なのだ。

つまり自分は「音楽を聴くのが主」で

あわせてなにかしているという状況が

「許容できるながら聴き」なのだ。 


自分が一番好きな「ながら聴き」

は部屋の掃除をするときだ。

本当は、掃除するときは、掃除が主で、

音楽鑑賞が従であるべきだろう。

掃除だって、結構頭使う。

でも、自分は実は掃除が苦手というか好きでない。

(・・・よくない性格だ・・・)

だから、そのいやだという気持ちを

そらしてくれる「ながら音楽」はすごくいい。

つまり自分にとって掃除の機会を増やすのに最もよい方法なのだ。



■「ながら聞き」の効果 

もうひとつ「ながら聞き(聴きではなく)」がいいな

と認めるシチュエーションがある。

それは、

民族音楽のようなどこがいいのか

 わからない音楽のよさをわかりたいとき』

だ。

子供の頃、自分の友達のほとんどは、

日本民謡なんてどこがいいかまったくわからない」

といっていた。

しかし、自分は民謡が大好きだった。

なぜかというと、親父が、民謡が好きで、

家でよくかかっていたからだ。

つまり、自然な「ながら聞き」によって、

いつのまにか、よさを理解できる耳をもっていたのだ。 

また、自分の学生時代、クラシックについては、

好き嫌いが結構はっきりしていて

「○○なんかどこがいいのか」

といったことがあったが、友達から、

「とりあえず、ながら聞きでもいいから聞いていれば、

 そのうちよさがわかってくるよ」

アドバイスを受けたことがある。

確かにそうで、聞きつづけることで

それなりに聴けるようになった。


そういった意味では、

「ながら聞き」もいいのかもしれない。 


社会人になり、限られた時間音楽を聴くのだから、

好きな音楽を聴きたいという気持があり、

自分の現状としては、そういった無理して

好きでもない音楽を聴くような機会は少ないが、

ある音楽、…そのとき、好きでない音楽だが、

一般的によいと認識されている音楽…のよさをわかろうとすると、

ある程度聞いて、その音楽のよさに

自分が共鳴できるように準備することが肝要だ。

そして、そのとき「ながら聞き」が有効だと思う。

例えば、無理して、

インド音楽のよさ」

中東諸国の民族音楽のよさ」

を分かろうとすることもないと思うが、

聞きつづければきっとわかるだろうと思うし、

わかったら、それはそれで豊かな人生の一要素となろう。  


オーディオ環境として綴ったが、

後半、内容としては横道にはいってしまった。

しかし、聴いて楽しむ音楽を考えることは、

その環境、聴き方まで考えることなのだと思う。