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ギター趣味人

1000-06-096-9  音楽雑誌

次は音楽雑誌について。


自分は書物ということでは

雑誌ではなく、「本」もそれなりに読んで

楽しんでいるのだが、

本は、大変「深いもの」なので、

ここではそれに触れず、雑誌に絞って、

思っていることを綴ろう。


雑誌は文化

趣味雑誌を読むのは楽しい

趣味というのは、その趣味についての情報

知れば知るほど、

更に知りたくなるという類いの性質がある。


それを趣味としていない人からみると、

「なにが面白いのだろ?」

と思ったりするのだろうが、

確かに冷静に自己分析してみると、

毎回同じかも・・・と思えたりする。

しかし、大体において、好きな雑誌

そうと気付いていても、

続けて買って読んで楽しい

きっと、そういう人が多くいて、

いっしょの情報を楽しむことが、その趣味

文化を深めることになるのだと思う。


以下に、雑誌の記事のメイン項目についての

自分の考えを綴る。



技術特集記事 

一番自分が興味があるのは、

実は技術記事だったりする。

やはり自分でギターを弾くので、

少しでも上手くなりたいという気持ちは

この歳でも変わらない。


でも、じっくり中身をみてみると、

同じようなことが繰り返されていることがわかる。

まあ、音楽なんてそんなものだろう。

西洋音楽はそもそも音程としては、たった12音で、

しかもそれを紙面で表現しようとしているのだ。

それほどいろいろな技術論が出てくる道理はない。

それでは、そういった技術論の記事は、

マンネリで面白くないのかというと、

そんなことはない。


その理由は、

『自分は同じ技術であったとしても、

 違うミュージシャンによって、

 言い方を変えて言われている』

というところにある。 

 

 

確かに音楽楽譜上で表現すると、

ある程度、理論的なものは出尽くしているのだろうが、

理論上で同じ理論でも、言い方、表現の仕方が違えば

 それは違う理論である』

と、自分は理解している。

 

技術の説明の違い」はそのミュージシャン

「頭の使い方」「理解の方法」だ。

紙面における説明の仕方によっては

「音使いの方言

みたいにも感じる。

微妙なものなのかもしれないが、これは結果的に

音楽の質感の違いにつながっているはず、

と思えるのだ。

その場合、同じ事を違う言い方で紹介するということは、

けして同じ理論を説明するにしても、

音楽的表現としての効果が違うのだから、

出力が違うということで、

「違う理論」といってもいいと思うのだ。

考え方、理解の仕方、覚え方といったようなものは

癖のようなもので、それこそが、

その人からがでてくる味みたいなものの

元になっているという考え方。 


そう考えると、技術論は同じ事を言っていたとしても、

「どのように表現しているか?」

というところまでみてみよう、ということになる。

結局「10人いれば、10人の技術論」となる。

以上より、

「同じことを違う言葉で、違うミュージシャンが説明する」

ということでも読む価値はあり、

と自分は思っている。

 

雑誌の読者としては、長く読んでいると自分に近い考え方、

逆に全く合わない考え方というのに出会う。

それは、理論上の話に留まらず、

「文章の表現として肌に合うかどうか」

ということも、無意識にジャッジしている。

そういうレベルでも、共感したり、反発を覚えたりしながら

読むことに楽しさを覚えているのだ。


以上、技術記事は自分は大好きな記事だ。



ミュージシャンインタビュー記事

技術的記事を、

「その筆者の音楽の考え方、捉え方の癖みたいに読んでいる」

と書いたが、もっと単刀直入に、

そのミュージシャン音楽感そのもの

が記事になっているのが、インタビュー記事だ。 

実はこのインタビューは、インタビュアーの実力、

すなわち質問力というか、記事の構成力といったもので、

面白くもなるし、逆につまらないものになってしまったりする。 


ギタリストにとってのインタビュアー

やはりギタリストの方がいい。

だから、ギタリスト対談記事なんかは

すごく面白いものが多い。  


インタビュー記事で興味を持って読むのは、もちろん

「そのミュージシャンがなにを表現しようとしているか」

なのだが、もうちょっと突っ込んで

「表現するときになにを考えて、なにをみて」

というところを読み取りたいとも思う。


この答えとして、よく語られているのは、

「自分の憧れの音楽

がある。

自分の好きな音楽ミュージシャン伝統的な流れ、

といったことが紹介されたりする。 

そういうのを読むと、そうだろうな、と思うことが多いが、逆に、

へぇ~そういうのが好きでこういう音楽

 表現するようになるのか・・・」

ということもある。

また、その言及されているミュージシャン

しらなかったりして、よし、聴いてみよう、と

自分の趣味を広げていく契機になることもあり、

それも楽しい。 

いわゆる「ルーツをさかのぼっていく」

みたいな聴き方ができることがある。


またそのような「あこがれの音楽」ではなくて、

「今(時代)を感じさせるもの」、

「次にくるものの予感」

といったことを語っているものもある。

自分としては、これが一番刺激的だ。

 

ねこの手のものは、話ている本人自身、

「うまく言葉にできない」

と感じている。

(だから音楽で表現している)

もちろん、インタビューアーは知る由もない。

そんな状況で、インタビューとして

対話がなされていくなかで、

「表現したいもの」

の輪郭が立ち現れてくるようなものが

一番面白い。


なんでもそうかもしれないが、

音楽の先達の音楽性を体得しようと思ったら、

 その先達の音楽のみをコピーするのでは

 おそらくその先達と肩を並べることはできない。

 その先達と同様のものの見方をして、

 自分で表現するとこうなるというものをだせなければ・・・」 

ということもある。

自分は技術レベルは低いので、で、どうなるというものでも

ないのだが、

プロ野球を見る人はプロ野球技術はとても体現できなくても

プロ野球選手技術が見て楽しめるように、

自分では弾けない音楽であっても

聴いて楽しむ方は、いろいろな聴き方を

していきたいと思うのだ。


でも、何いっているのか、全く理解できない

ものも少なくない。


しかし、

時々、古いジャズライフインタビューなんかを読み返してみるとと、

「その当時はなんてことないインタビューだと思ってたけど、今読むとすごい」

なんていうものがある。  

インタビュー記事といっても肩に力をいれて、

勉強として読むわけではないが、いつもなにか

「新しい出会い

のような感覚が得たいと思っている。 



ギター評価記事

新しいギターの記事、ギター試奏の記事。

これについては、なにもいわない。

毎回同じだし、読んで音がイメージできる

というものではないのだが、

絶対読んでしまう。

ギタリストにとって、「ギターの品評」

はいつまでたっても楽しいものなのだと思う。

ある種病気のようなものだと思う。

以上、「道具としてのギター」については、

第4章で綴っており、また、次の章で

自分のギターについても記載しており、

そちらに譲ることにする。



CD音源)評価記事

これも有用な情報だ。

特に「自分と趣味のあるレビュー執筆者」

がわかってくると、

その方の評価をみて、CDを聴いてみようと思ったりする。


でも、自分の学生時代から20代の

ころの方が、そういう情報を大事に

読んでいたかな・・・・



雑誌を大事にしたい 

インターネットが普及し、

ブログなどで、ミュージシャンが直接テキスト

表現することは、もう当たり前のようになっている。

だから、雑誌ニーズは小さくなる方向

なのかもしれない。

そんな状況だから売れる雑誌を作っていくことは

難しいと思う。 


しかし、自分は書物という形態は、

すばらしいもので、現状のインターネットでは

代用不可だし、ずっと残っていくべきものと

思っている。

そして、最初にも書いたが、

雑誌こそが文化を深めるもの

という思いもある。

趣味の文化を良質の雑誌として形にすること」

これは、プロ仕事だ。

このプロ仕事ギター好きの一人として

応援していこうと思う。

よい記事が載った雑誌は購買しよう。 


頑張れ文化を支える雑誌達!!