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ギター趣味人

1000-08-028-2  ライブハウス 

自分は、クラスタのマスターを尊敬している。

自分は社会人として普通に暮らせるようになって

少し余裕ができたら、文化的なことで、

なんらか社会にかかわりを持ちたいと思ってきた。


この社会的な貢献が大きくて、

それを周りの人から期待され続ける人がプロなのだと思う。

ギターでいえば、たとえば

押尾コータロー氏は、多くのギタリストリスナー

感動癒し希望、その他諸々を与えて続けている。プロだ。


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しかし、自分も含めて普通の人は

押尾氏みたいな才能はない。 

押尾氏みたいな才能はなくても、

押尾氏に負けないくらい社会貢献しているなあ

マスターのことをみていて思う。

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ミュージシャンや、プレイヤーでなくても、

もちろん文化的な貢献は可能だ。

CDを作ることにかかわっている人だってそうだし、

ホール建築家だってそうだ。


実は自分は就職活動しているとき、

そういった職業が選択できる環境

あったときがある。


でも、それを選ばなかった。


音自体を仕事にすることで、

音自体を好きになれなくなってしまうのではないか

という、恐怖感があったのだ。

趣味でつづけていきたい。

そのときはそう思った。


でも40歳を過ぎてみると、時々、

関係仕事についていても面白かったかなと思う。


一方、クラスタのマスターは

本当に直球勝負だ。

自分のやりたいお店を立ち上げて、

毎日がんばっている。


この節では、そんなマスターと会話したことについて、綴ろうと思う。



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夢は、もっと儲かりたい!


2006年12月のクラスタフリーコンサートの日の

17:30分、つまりお店開店の30分前に、

自分は、マスターに話をする機会を頂いてクラスタにやってきた。


実はその週の金曜日にマスターに、

この文書(これまでつづってきた部分)

をマスターに郵送して、読んで頂いた。


ここまで読まれた方は十分分かると思うが、

自分はクラスタが好きだという

気持ちをストレートに綴っている。

従いマスターに最初に読んでほしかったのだ。


そして、このページを大きく空白のままとし、


「ここは、ぜひ田中マスターと対談して書きたい。」


と書いておいた。


金曜日に送って、土曜日が一日あって、

次の日曜日フリーコンサート

さすがに1日では読み終えないだろう

と思っていたので、その次の日曜日くらいに、

時間とっていただけないかなあ、

と思っていたのだが、

土曜日メールが入った。


「読み終わりましたので、フリーコンサートの前の

 17:30にお店に来てくれれば、なんでも話しますよ」

徹夜で読んでしまいました」


とのこと。


どれだけ自分がうれしかったか・・・・ちょっと言葉がない。


自分は感謝の気持ちをこめて、国分寺丸井デパートで、

お礼ピザと焼き洋菓子を購入して、

17:30からのマスターとの対談に臨んだ。


挨拶を交わし、とりあえず、いっしょにピザを食べ始めた。


マスター

「何でも聞いてください」

 

自分

「それじゃ、聞きたい事ストレートにいってしまうとですね、

  ①最も楽しいと感じる瞬間は?

  ②なぜ、こういうコンセプトのお店にたどり着いたのですか?

  ③夢は?

  以上3つが、聞いてみたいことです」

自分って、ほんとストレートだ。


それで、マスターが開口一番、言った台詞が

この節の題目として書いた、次の言葉だった。

「夢は、もっと儲かりたい!」


・・・マスターは自分とおんなじくらい、ストレートなのだった。


マスターがにやりとするのをみて、思わず自分もにやり…

インタビューなんて雰囲気にはならんよね」

という言葉がお互いに聞こえたような気がした。

あとは、いつものマスターとの会話のペースなのだった。


マスターがクラスタを作った理由は、極々単純で、

こんなタイプのお店がなぜないのだろうという

シンプルな思いからだそうだ。

「世の中には、人前で演奏をしたい人がいっぱいいるだろうに・・・

 自分がまずそうだ」

と思ったそうだ。


で、やってみたら、なるほどと思ったとの事。

「これで飯を食うのは、大変」

ということがすぐわかったとのこと。


自分

「えっ、そうですか。いつもライブにぎわっているじゃないですか」


マスター

「人が入らない日もあって、そういう日は、

 本当につぶれることを考えちゃいますよ」


「でも…」

と自分が言いかけると、


「うん、たしかに。

 ノルマとかチケット制とか、

 楽な方法はたくさんありますよね。

 でも、それは、自分にとっては

 ライブハウスではないんです。

 それでは只の場所貸しです。

 自分は普通ライブハウス

 やりたいんですよね。」


マスターはとってもとってもとっても普通に言うのだが、

自分はこの考え方が本当に正しいと思う。

(そして、かっこいいと思う。)


そういうところが、次にマスターが答えた

「最も楽しいと感じる瞬間は?」

という質問の答えに繋がっていくのだろう。


その答えは、

お客様が喜んでくれるとき」

「すごい演奏を聴いたとき」

そして、

「マスターのおかげで、またギター始めたよ」

お客様に言って頂いたときだという。


ここまで聴いて、自分は最初にマスターが言った、

「もっと儲かりたい」

という台詞を重く思う。


テレビ美輪明宏がいっていたことを思い出す。

「いい教育というのは、美しい詩や、

 美しい音楽、美しい本をいっぱい経験すること」

その通りと思う。


大人も同じだ。誠意のある、美しい音楽や劇、芸術

触れていることが、生きるためには必要だと思う。


しかし、現実はなかなか厳しい。

そのあとマスターと話した内容であるが、やはり

芸術で飯を食うこと」

芸術お金を出すこと」

は、大変なのだ。


劇団なんて、普通にやれば絶対黒字になんかならない。

俳優さんなども、日があたるようになるのは、本当に一握りだ。


音楽だってしかりで、クラスタにくるすばらしい音楽家

金持ちであることは少ない。それどころか、

「食べるのに困る一歩手前」

の方も少なくないのだそうだ。

(失礼な言い方かもしれません。すいません。)


でも、本当に

芸術なんか、何の足しにもならない」

という風潮の社会になってしまったら、

どんなにつまらないだろう… 


自分は自分が住んでいる町を、

そんな風にはしたくない。

芸術をみんなが愛でる社会の方がずっと楽しい


「マスター、マスターが儲かる社会がいいなと自分は思います」

1000-08-018-1  夢の演奏旅行

演奏旅行を夢見て 

歳をとって、今の仕事を定年してから

というのが現実的と思っているが、

自分の夢のひとつとして日本の各地にある

手ごろな大きさのライブハウスを、

ずっと北から南まで、演奏して廻ってみたい

と思っている。


地方で演奏を楽しんでいるミュージシャンの方の

演奏を楽しみ、自分もギターを弾かせていただき、

楽しむことをしながら、日本を回ってみたい。

音楽は、世界共通の言葉みたいなものだから、

誠意を持った音がだせれば、きっと楽しめると思っている。


ただ、その際思うこととして、自分はこの夢を

「単なる自己満足年寄り道楽

みたいにはしたくない。やるのであれば

「聴いてよかった」

といっていただけるものをやりたい。

それはどんなものなのだろう。

この本で書かれていることは実は自分のこの

「それはどんなものなのだろう」

をずっと追っている中で、いろいろ気づいたことを書き綴っているものだ。


楽しんでいただけるものを身に付けたい。 

演奏技術を披露するだけなら、ある程度曲目を決めて、

何年間もそればかり練習すれば、

それなりの技術と完成度にはなろう。

それらの曲を、ライブで演奏させてもらう

ということであれば、それなりにできそうだ。


しかし、同じ曲をずっと練習することを、

自分は楽しめるだろうか。

そして、聴きにきてくれた人に楽しんでもらうえるだろうか。


自分は野球が好きなのだが、萩本欽一さん、

欽ちゃんのチームが好きだ。

アマチュアチームを作って頑張っているのが

よくテレビでも出てくる。

プロ野球みるのも楽しいが、

欽ちゃん球団をみにいくのも、

それに負けず劣らず楽しそうだ。

まだ直接みにいったことはないのだが、

欽ちゃんのこの球団での観客とのやりとり

選手の起用法、そういったコンセプト面が自分は好きだ。

「技術を魅せること」だけに収まらない、

「表現で魅せること」がそこにはある。

楽しさがある。


自分はギターの演奏技術の面では、

例えば村治佳織さんには逆立ちしても敵わない。

でも、いっしょに楽しい時間を持つことは、

けして技術だけではないというのを、

欽ちゃん球団は教えてくれる。


欽ちゃん球団が分かりやすい例だったのであげたが、

身近にこのことをいつも感じさせてくれるのが

クラスタフリーコンサートだ。

アマチュアの方の演奏を聴いていると、

単純な技術とは違った

「その人の人となり」

を聴いている自分に気がつく。 


技術的にはたいしたことがなくとも、

心に響く演奏というのはある。


演奏だけでなく、MC、間の取り方、立ち振る舞いなど、

いろんなところからでも、その人の美しさを感じることがある。

これらは、演奏に対してのその方の取組、

コンセプトみたいなものが、表出されているのだ。

そしてこの表出されるものが、いつでも高いレベルでキープされている人が

スターなのだろう。


そしてそのことを自分の意識下にでき、

自分自身を演出している方がアーティストなのだろう。


この意味で自分自身に納得できる演奏ができるようになりたい。

だからこの夢はぼんやり描いているものではない。

今実際に、具体的な計画を立て、じっくりと実現に向けて

歩を進めている夢なのだ。

1000-07-31第8章  夢

音楽で飯をくえないかなあ」

音楽をやっていると、そう思うことがある。

音楽にのめりこんだことがある人なら、

誰でも一度は思ったことがあるのではなかろうか。


音楽のみならず、スポーツとか美術とかでも

同じと思う。

でも、ミュージシャンプロ野球選手

プロサッカー選手、その他なんでも

「自分の趣味仕事として飯を食っていく」

のは大変だ。そして、そこに到達した人たちは、

ある意味なるべくしてなったとしか思えない。

つまり、才能があったということだ。


才能というのは、「努力ではけして追いつけないもの」、

として確かに存在する。

そして、もちろん、40才を過ぎて普通サラリーマンをやっている自分は、

ギター才能」は残念ながら、持ち合わせていない。

だから、「音楽で飯をくう」というのは、叶う事の無い夢だ。


でも、そのことを十分わかってはいるが、

将来、日本各地のライブハウス

小さなアコースティックギターソロ

ちょうどいいくらいのライブハウス

演奏旅行してみたいな、というのが、自分の夢だ。


自分の才能の範囲は、技術的にはプロには程遠いが、

それでも、自分は音楽が好きで、ギターが好きだ。

そして音楽は技術だけでなく、

「誠実さ」とか、「音楽を通してみようとしているもの」

というものでも、ある程度伝わるものだとも思っている。


だから、飯を食うことにこだわらなければ、

夢は、実現できる夢になる。    

夢を持っていると、毎日張り合いがでる。


いつかその大きな(自分にとってはだが…)

夢を実現させるため、道を小さな夢に分割して

ちょっとずつかなえながら、歩いていこうと思う。


本章が最後の章になるが、夢について綴る。

1000-07-20番外コラム-7 美術館

去年(2007年)から新たな趣味として

休日で家人の用事も入らず、自由に動けるときに、

美術館を楽しんでいる。

東京横浜美術館が多い。

で、いってみるとなんというか、

「普段と違うスピードで流れる時間

みたいな感じの過ごし方ができて

気に入ってしまったのだ。


つい先日の2008年3月23日

東京現代美術館にいってきた。

たまたまだが、岡元太郎の「明日への神話」の

メキシコで再発見された壁画版(幅30m×高さ5.5m!!)

が展示されていて、堪能した。



美術館の楽しさ

美術館ってなにが楽しいのだろう。

今、どこの家にもテレビがあるし、

また、DVDビデオとかも含めて)とかで

映像を楽しむことは、本当に小さいコスト

できるようになった。


それなら、美術館なんか、なくてもいいかな・・・

なんてことも思ってしまう。


でも、実際にいってみると、

大体入場料は500円から1000円くらい払うのだが、

「きてよかった! また、来たいな」

そう思うときがほとんどだ。


自分としては、

美術館は、音楽でいうライブと一緒なのだ。


本当の実物の作品の前に立つ。

美術館に入るだけのものであるから、

いずれも、その

美術館に入るだけの迫力」

を有している。


あるものは、構図のかっこよさだったり、

あるものは、色使いの絶妙さだったり、

もちろん、それらがすべて合わさっての

よさなのだが。


そして、生でみることの楽しさは、

近くでみることができるので、

「筆使い」といったところまで、みれることだ。

昨年みたのでは、ムンク葛飾北斎とかは、

この筆遣いの勢い、というか、リズムというか、

それがなんとも心地よかった。


ムンクはそう思った絵のポストカードを購入したのだが、

残念ながらそのような筆遣いまではとても

見えるわけがなく、自分が心地よく思った

「筆致」については、残念ながらみれない。

こういったものはやはり実物でみないと、

感じ得ないものだ。


また、一つ一つの絵だけでなく、

絵を次、次とみていくその流れ自体も楽しい

それは、展覧会企画するキュレータの方の

腕によるところと思うが、これも、

本当に音楽でいうところの交響曲

聴いているような気分になるときがある。


悲しいもの、力づけてくれるもの、

いろんなものをゆっくりと楽しみながら

歩を進めていくのは本当に楽しい


よく芸術家というのは、画家音楽家

深い交友を持っているが、わかる気がする。


以上のような楽しみを味わって、このごろ、

自分も、美術からもいろいろ感性を刺激してもらって

自分の音楽趣味に深みをいただきたいなあ、

なんてことを思うようになった。



こういう場所を大事にしたい

美術館というのは、生活面でいえば、

特に無くても困らない。


でも、

「無くてはならないものである」

そう思っている。


考えてみれば、

野球サッカースポーツ

だって、子供の育成や健康のため、

ということを除けば無くても生活できる。


いや、もっと極端にいえば、

中学校以上の勉強

だって、自分の仕事とする分野以外については、

実生活上は、必要ない、といって間違いではないだろう。


でも、繰り返すが、

「無くてはならないもの」

だと思う。


ただ単純に目的同行でなく、

「美しいもの」

を示してくれるものというのが、人間には必要だ。


そういう思いのシンボルのひとつが

美術館だと思う。


「どういう街に住みたいか」

という問いに対して、いろんな答え方があるが、

「いい美術館と、いいコンサートホールがある街」

という答えもいいなあと思う。


これからも美術館、時々楽しもう。

1000-07-057-5 ギター探しの旅

さて前項では、大量生産品、手工品

それぞれのいいところを書いた。


で、問題はいずれの場合にせよ、

「どうやって手に入れるか?」

だ。


2つの方法があると思う。

当たり前のことだが、ひとつは、探すこと、

もうひとつは、オーダーして作ってもらうことだ。


探すか、作ってもらうか、

どっちがいいだろう・・・


究極の一本って・・・

まず探すほうを考えてみる。


どう探すか?ということを考えると

「自分はどんなギターが好きなのか?」

「究極の1本ってあるの?」

という問いがまず頭に浮かぶ。


まさにその問いを立ててのムック本が、

2006年だったか、リット-ミュージック社からでていた。

「こだわりのギター屋」なる本だ。

中を見ると、こだわりのギター屋さんが、

それぞれお勧めの「この1本」を紹介しているのに加えて、

上記の問いに対する答えがインタビューとして載っていた。  


マーチンギブソンの若いときからあこがれていた一本


といったこと答えが少なくないが、


・「ない」


と言う答えも少なくない。


「どんな音楽を演奏するのか?」

ということによって、最適なギターの音というのも変わる。

だから、

「どんな音楽にもマッチする究極というのはない」

ということだ。


自分もそれはそうだろうなあと思う。


大体、「究極の一本」なんてことを本気で

いっていたら、限界がみえないことに他ならないから、常に

「もっといいものがあるはず」

となってしまい、1本も手にできないかもしれない。

これは、ギター屋さんからいえば、

売れないということだ。


従い、やはりそんなものはないのでは・・・

というか、あっても「音楽によって違う」

とか、「そのときそのときで違う」

とかいうのがいいところなのだろう。


 

ギター屋さん

ということで、まあ、そのときいいと思ったギター

そのときの理想のギターなのだ、

と割り切ってもうちょっと現実的な話をしていこう。


現実に購入するということであれば、

どんなギター屋さんで買うか?

ということが重要だ。

当たり前のことだが、いいギターを手に入れたい

と思っているギタリストにとって、

そのギターとの出会いの場となる、

楽器屋さん、ギター屋さんというのは重要だ。


ギターを買うとしたら、どんな楽器屋で買うか。


あまりに「安売り」を売りにしている

楽器屋というのは、

「究極の1本を選択する」

というニーズにはマッチしない。


もちろん・・・・

・・・安売りの楽器屋さんをごひいきにせねばならない状況というのは少なくない。

    特に自分で稼いでいない学生さんの場合なんかはそうだろう・・・

そういうケースではなく、

「理想の1本がほしい」

と真剣に探す場合においては・・・ということで続ける。


まず、ギターを真剣に選ぶのであれば、

絶対に必要なのが試奏だ。従い、

「本気で試奏できる場所というのを持っている楽器屋」

というのが条件になる。

で・・・楽器屋いってみると、その環境をしっかりと

もっている楽器屋というのは、以外に少ない。

「場所として静かであり、複数の楽器の弾き比べができる」

というシンプルな条件なのだが、楽器屋であるがゆえ、

雑音にあふれているのが多い。

(大手の総合楽器店さんなんかは特に・・・・)


話はそれるが、2年に1回、近頃は横浜みなとみらいでやっている

楽器フェスタ」なんかは、最新の楽器が一同に集まり、

好きなイベントではあるのだが、会場は騒音はすさまじい。

従い、このイベント楽器フェスタであるが、

耳で楽しむものではなく、目で楽しむものと

割り切っている。(ちょっと悲しい)

もしくは、もう少し譲ってヘッドホン楽器

つまり電気楽器は音を聴ける、評価できるもの、

というのところだ。

あとは「聴いて楽しむ」というのは、自分で楽器を弾いてではなく、

プロデモンストレイターの方の演奏を聴くぐらい。

もちろんそれはデモンストレイターは、大音量が許されるからだ。


閑話休題

つまり、それなりの値段のギターを本気で選ぼうとしたら、

その音をじっくり聴けるという条件を満たしてくれる楽器屋でないと

買う気は起こらない。


ちなみに、自分は試奏が趣味だと先に綴っているが、

この試奏するとき、一番気にするのは、

『本気で買おうと思って試奏している他のお客さんに絶対迷惑をかけないようにしよう』

ということだ。

(お前は買う気が無くて試奏しているのか・・・と叱られそうな文だなこれ)


楽器屋さんも考えてみればすぐわかると思う。

エレキギターの試奏の音がガンガンなっている

ようなお店で、

アコースティックギター、それも20万以上というのを

試奏して買うだろうか?


自分は買いにくい。

いくらいいギターを仕入れていても、

売れる確率はかなり低いと思わざるを得ない。


壁にかかっている高級な(お値段の高い)ギターが、

かわいそうなことに「お飾り」

となってしまうのでは・・・と心配になる。


まずは、

「音の吟味が可能である試奏部屋を持つ」

ということがお店として誠意ある対応だと思う。


以上のようなことを考えてみると、楽器屋より、

ギター専門店、しかも、アコースティックギター専門店がいい。

それであれば、防音室がなくても、敷地自体は大きくなくても、

交通騒音が少ない、ビルの高い階か、裏通りに

あればいいということになる。


・・・・これは、御茶ノ水ギター屋さん、そのものかも・・・・

こういったお店の形態は、実はそれなりに理由(というか戦略

があってのことなのかもしれない。

(たまたまかもしれないけど)


大きな楽器屋では、渋谷道玄坂途中のヤマハや、新宿駅近くの新星堂などが、

アコースティックギターの試奏スペースがちゃんと分離された

環境がある。

きっと売り上げもコンスタントなのではなかろうか。


それと、更にハイエンドなお店としては

車の販売のようにお客様一人一人に接客するような

スタイルがあってもいいなと思う。

車と同じような価格ギターというのも

あるのだから。


このスタイルは、

神戸ヒロコーポレーションという楽器屋さんが

こだわりぬいて実現しているとのこと。

自分はいったことがないが、

そのうち、ぜひ1度いってみたい。


以上、ギターを探すということで

考えてみた。


ギター探しは楽しい



憧れのオーダーメイド

オーダーメイド・・・憧れである。

しかし、

オーダーメイドは、一生しないかもしれない」

と、実は真剣に思ってもいる。


と、いきなり後ろ向き名意見というか、

題目からの逆意見だが、本音だ。


じゃあ、

ギターオーダーメイドをしてみたい」

と、先に何回か書いてきているのは、うそだったのか?

といわれそうだが、理由はある。単純な理由だ。


オーダーメイドである以上、試奏はできない」

すなわち、

「できてみるまで、自分の好みの音のギターかどうかはわからない」

ということだ。


できるだけ、自分の好みでないものとならない

ようにするには、せいぜいその製作家の方が

過去に作ったギターを弾かせてもらい、

「このような音で出来上がるであろう」

と期待することしかできない。


で、もしも・・・だ、  

「もし、出来た楽器が、気に入らなかったとしたら・・・・」


なんとしよう!


まさか、

「気に入らないので、お金は払いません」

というわけにはいくまい。



だから、オーダーメイドをするためには、

そのオーダーメイドを頼む製作家さんの実力を十二分に理解して・・・、

もしくは過去のその製作家さんのギターにほれ込んで・・・

ということが条件となる。


作家の方と懇意になって、

「この方なら大丈夫」

と納得できるような状況になれれば、いいのだろうが、

サラリーマンの自分では、そんな状況は、

なかなかありえないと思う。

イメージできない・・・)


また、懇意にはなれなくても

オーダーメイドをしている方はたくさんいるのも

知っている。そういう方は、極論すると  

「完全に自由に使えるお金が余っている」

ということだ。


・・・・うらやましい・・・・

普通サラリーマンの自分では、

「夢」といっていい状況だ。


でも、それでも自分のためだけのギター

オーダーできたらどんなにすばらしいだろう。


という気持ちは強い。


もし将来、そのようなハッピーな状況になることができたら、

(ぜひとも実現したいと思う・・・・思うことは思う)

そのときは、オーダーして入手するまでの過程を

この項の続編として、

新たな文章として、書いていってみたい。




ギター探しの旅  

人との出会いは大事だ。

同じように、本、絵、音楽との出会いも大事。

本は、ものすごい数が出版されているが、そのなかから選んだ本だ。

運命があったのだ」

として、ある意味神聖と思って感謝する。

そして、もちろんギターもだ。


本などは、価格が手が届く範囲ゆえ

「出会ったときが買い時」

と思えるのだが、

ギターの場合は、価格が高いので、

おいそれということではないだろうし、

そもそも手に入れただけでは

本当に出会ったことにはならないと思う。


ギターの場合は、

買ってから、長く、ずっと付き合っていくことで、

自分とそのギターの音を作り上げていくのだ。

「このギターでこそ」

と思う音をみつけてこそ、

手に入れてよかったとなる。


自分の場合、次のギターを手に入れるのは、

いつだろう・・・・


遠くない将来かもしれないし、

ずっと先になるかもしれない。


でも、少なくともあと1回は、

ナイロン弦のギターを購入しようと思っている。  


きっと必然タイミングがくる。  

そのときのために、耳と腕を鍛えておこう。    

「最高の、究極の1本と出会えますように」